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陽子のひまわりページ

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6.オーストリア・ウィーン市の都市計画

オーストリア・ウィーン市の都市計画




[ウィーンの先人は未来を見据えていたのか、今も息づく 都市政策]


・ウィーン市の街づくりは、1857年から本格的に始まったと言えます。

それは城壁を取り払った事がすべての始まりだった。

跡地には公共的な建築物を配置した、例えば、、国会、市庁舎、公園、マンション(この場合は高級であった)、高級住宅街である。



・1905年、現在ではウィーンの森の守護者とまで言われている1人の市議会議員、

ターゼル・ショッフェ氏の懸命な働きによってウィーンの森は自然保護地帯に指定され、現代へと引き継がれているのである。



・しかし、1918年~1920年には、このウィーンの森に貧しい人々が違法に住居を建て、

自給自足の生活を始めてしまった。

日本では考えられないことであるが、1929年に合法化され、

今日では逆に景観保護地域として、ドナウ河流域やウィーンの森内に美しい集落を形成しているのである。



・都市政策(街づくり)は住宅政策である。

前項の反省もあったのか、1930年には1kmに及ぶ長屋1600世帯ができ、

第1次世界大戦語6.3万戸、さらには、1949年には16万個の市営住宅が計画的に建設され、今日ではウィーン市内の4戸に1戸は市営住宅であるまでになっている。

このことにより、オーストラリア全体の住宅費が低価格となり、又、乱開発の防止、景観の保護、美しい街並みの形成というものが可能になっていると考えられるのである。

ちなみにウィーン市の予算では、景観保護、住宅保護地域に300億円、個人住宅対策にも同程度の予算を計上しているとのことである。(市営住宅は55平方メートル~70平方メートル、家賃2.5万~8万)







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